
バイナンスすら"蚊帳の外" 最強AI「ミュトス」争奪戦で暗号資産業界に激震、狙われ放題のセキュリティ格差の恐怖
アンソロピック社の"門外不出"AIを手にできるのはごく一部の選ばれし企業だけ。一方でハッカーはAIを武器に攻撃を加速させ、大手取引所や資産管理会社が次々と被害に。「守る側」と「攻める側」、非対称なAI軍拡競争の内幕に迫る。

暗号資産業界の大手プレイヤーたちが、自社のシステムをサイバー攻撃から守るための"最強AI"を手に入れられずにいる——そんな衝撃の実態が明らかになった。強力な新型AIモデルへのアクセス権を得られたのは、ごく一握りの企業だけだというのだ。
米暗号資産取引所コインベースは今年6月、AI開発大手アンソロピックの制限付きモデル「ミュトス」へのアクセス権をすでに確保したと発表した。また暗号資産プロジェクト「ジーキャッシュ」のズーコ・ウィルコックス氏によれば、シールデッド・ラボの依頼を受けたアンソロピックが同モデルを使ってジーキャッシュのプロトコルを監査したという。しかし他の主要プレイヤーたちは、いまだアクセスすら得られていないというのが実情だ。
「あの最先端モデルは、まだ暗号資産業界には開放されていない」。世界最大手の取引所バイナンスの最高セキュリティ責任者(CSO)ジミー・スー氏はCointelegraphの取材にそう明かした。「我々もなんとか食い込もうと動いてきた。他の取引所や自社の投資家にも掛け合った。それでも、マイソスのような最前線のAIモデルにはまだ手が届いていない」
数十億ドル規模の資金が狙われる業界に生まれた"新たな格差"
このアクセス格差は、ひとたび攻撃を許せば数十億ドル規模の被害が発生しかねない業界に、新たなセキュリティの分断線を引いている。アンソロピックやオープンAIといったモデル開発企業は、最もサイバー攻撃能力の高いモデルを一般公開しない方針を取っている。その一方で、性能を増すオープンソース系AIが野放しになっているとの懸念も強い。つまり暗号資産業界は、AIを駆使した高度な攻撃にさらされながら、それを防ぐための最強の武器だけは持たされていない——という歪な構図に置かれているのだ。
業界幹部も「当初の制限はやむを得ない」と認めるが…
アンソロピックによれば、「ミュトス5」は一般公開されている「フェイブル5」と中身は同じモデルだが、サイバーセキュリティに関わる機密性の高い作業を制限するセーフガードが外されているという。
オープンAIも似たような階層構造を採用している。認証された"防御側"だけが「サイバー向け信頼済みアクセス」という枠組みで「GPT-5.5」を使え、さらに制限の緩い「GPT-5.5-サイバー」モデルは、正式に認可された侵入テストを行うごく一部の関係者にのみ提供されている。
Cointelegraphの取材に応じた暗号資産セキュリティ業界の幹部たちは、最先端のサイバー系AIモデルへのアクセスを当初は制限する必要性自体は認めている。しかし、一般公開モデルの性能がそれに追いついてくるにつれ、制限を続ける正当性は薄れていくとも指摘した。

Source: Zooko Wilcox
バイナンスのスー氏は、アンソロピックが慎重に展開を進めていることについて「責任ある姿勢」だと評価する。新モデルの解禁は、守る側よりも攻める側を先に利するリスクがあるからだ。
「攻撃側の能力を、防御側よりもはるかに速いペースで引き上げてしまうなら、それはエコシステム全体にとってマイナスにしかならない」とスー氏。限定的なテスト期間を設けることで、被害の"爆発半径"を抑えられるとも語った。
ただしスー氏は、競合する他社のモデルがより強力かつ広く使われるようになれば、この計算は変わってくるとも付け加えた。
「他のより強力なモデルが次々とリリースされていけば、アンソロピックにもより広くモデルを開放する圧力がかかっていくはずだ」。問題は、最前線のAIモデルが解禁された時、攻撃側と同じレベルで防御側もそれを使いこなせるかどうかだという。
深刻な脆弱性(重大度クリティカルのCVE)の件数は、「クロード・ミュトス」のプレビュー版公開以降、目に見えて増加しているというデータもある(調査機関エポックAI調べ)。

The number of critical-severity CVEs has climbed after the launch of Claude Mythos Preview. Source: Epoch AI
7月に就任したばかりのソラナ財団の最高情報セキュリティ責任者(CISO)マイケル・コーツ氏も、セーフガード自体には理解を示しつつ、正当な防御側がもっと迅速にアクセスできる仕組みが必要だと訴える。
「高性能モデルにガードレールを設けること自体はよく理解できる。だが、正当な防御者にモデルを提供するための審査・承認プロセスは、もっと効率化すべきだ」とコーツ氏。
「攻撃者はどうせ十分に強力な武器を手にする。だからこそ、我々が入手できる最良のモデルを、確実に防御側の手に渡す必要がある」
ブロックチェーン・キャピタルのショーン・チーサム氏も、いずれは制限を緩和すべきだとの立場だ。悪質な攻撃を仕掛けるごく少数のグループに対し、正当なセキュリティ研究者の数は圧倒的に多いため、広く解放すればむしろ防御側に有利に働くとの見方を示す。
「善良な人々が防御力を大きく増やせるなら……素直に解放して、自分の身を自分で守れるようにしたほうがはるかにマシだ」(チーサム氏)
最前線AIへのアクセス、あまりに不公平な現実
日次取引高で世界最大を誇るバイナンスでさえアクセスできていないという事実は、なんとも皮肉だ。デフィラマのデータによれば、同社が保有する資産総額はなんと約1378億ドル(日本円で約21兆7000億円、1ドル=157.7円換算)にものぼる。それだけの資金を預かる世界最大手が、最強の盾を持たされていないのだ。
年間数兆ドル規模の資産を管理する暗号資産カストディ大手ファイヤーブロックスも、4月時点でミュトスへのアクセスを求めていたが、当時は侵入テストにアンソロピックの一般公開モデルしか使えていなかったと、米メディア「ジ・インフォメーション」が報じている。また分散型取引所ユニスワップの創業者ヘイデン・アダムス氏は6月、サイバーセキュリティ関連のプロンプトを制限する「フェイブル5」のセーフガードを痛烈に批判した。
イーサリアム財団も7月、自社システムのバグを見つけるために「協調型AIエージェント」を稼働させていると明かしたが、具体的にどのモデルを使っているかは明らかにしていない。
Cointelegraphはイーサリアム財団、ファイヤーブロックス、ユニスワップに対し、その後最前線AIモデルへのアクセス権を得たかどうか確認を求めている。

Source: Hayden Davis
一方で、暗号資産業界の"周辺"にいる企業にはアクセスが認められたケースもある。銀行向けに技術を提供するFISは、昨年7月にサークル社と提携し銀行の顧客がUSDCで国内・国際決済を行えるようにしたが、先月アンソロピックの審査制プログラム「プロジェクト・グラスウィング」に参加したという。
プロジェクト・グラスウィングとは、審査を通過したサイバー防御企業や、重要なソフトウェア基盤を担う組織に対し、アンソロピックが制限付きの「ミュトス」モデルへの早期アクセスを与える囲い込み型のプログラムだ。
大手暗号資産取引所などにバグ報奨金・セキュリティテストサービスを提供するハッカーワンも、同プログラムに参加したと明らかにした。ただしテスト対象は自社のインフラのみで、顧客企業のプログラムには及ばないという。
CointelegraphはオープンAIとアンソロピックに対し、制限付きモデルへのアクセスをこれまで何社の暗号資産企業に付与したのか問い合わせている。
AIを駆使したハッキングが増殖中
月曜日、ビットコインのスワップサービス「ボルツ」は、ここ数カ月でAIを駆使した攻撃が着実に増加していることを受け、非カストディ型ブリッジの運用を停止すると発表した。
「傾向は明らかだ。攻撃者はもはや、我々のような小規模チームが発見・修正できるスピードをはるかに超えて反復攻撃を仕掛けてくる」
先週には、ビットコインのハードウェアウォレット企業コインカイトが、自社製品「コールドカード」の複数端末が、ウォレットのシード生成における欠陥を突かれてハッキング被害に遭ったと発表した。生成されるシードが想定よりもランダム性に欠けていたことが原因だったという。
同社は、攻撃者がAIを使って過去のファームウェアを解析し、その欠陥を発見・悪用した可能性があると見ている。皮肉なことに、コインカイトはわずか数週間前、「現時点で入手可能な最良のAIモデルの一つ」を使って自社コードをレビューしたばかりだったという。

