ベトナムで、暗号資産ビジネスをめぐる争奪戦が始まった。
政府が国内初の公認暗号資産取引所を認める準備を進めるなか、地場の銀行、証券会社、大手財閥がライセンス取得に動いている。
これまでベトナム人投資家の多くは、バイナンス、OKX、バイビットなど海外取引所を使ってきた。だがベトナム政府は、この流れを変えようとしている。
狙いは単純だ。
海外に流れていた暗号資産取引を、国内の管理下に戻す。
手数料を国内に残す。
税収を取る。
資本流出を抑える。
つまり、暗号資産を禁止するのではない。
国家が見える場所に移すのだ。
ロイターによると、ベトナム財務省の初期審査を通過した企業は5社だ。テックコムバンク、VPバンク、LPバンクという民間銀行系の企業に加え、証券会社VIXセキュリティーズ、大手財閥サン・グループが含まれる。VPバンクとサン・グループは申請を認めている。
これは小さな制度変更ではない。
ベトナムは世界有数の暗号資産大国だ。チェイナリシスのデータをもとにしたロイター報道によると、ベトナム人投資家が関わる暗号資産取引額は、6月までの12カ月で2000億ドルを超えた。円換算で約31兆9400億円だ。
この数字は大きい。
日本と比べると、より分かりやすい。日本暗号資産等取引業協会(JVCEA)の月次統計を合計すると、2025年の国内暗号資産交換業者の取引高は、現物が約22.7兆円、証拠金取引が約26.4兆円、合計で約49.1兆円だった。
ベトナム人投資家が関わる暗号資産取引額は、円換算で約31兆9400億円。これは、日本の国内交換業者の年間取引高全体の約65%にあたる規模だ。
もちろん、単純比較はできない。日本の数字は国内登録業者ベースだ。一方、ベトナムの数字は海外取引所やオンチェーン取引を含む推計とみられる。定義は完全にはそろわない。
それでも、ベトナムの暗号資産マネーが、すでに日本市場に迫る規模で動いていることははっきりしている。
ベトナム政府が放置できない理由はここだ。
ベトナムでは、平均年齢が低く、スマホ決済やオンライン投資に慣れた個人が多い。銀行の支店に行くより、アプリで金融サービスに触れる感覚の方が自然な層も厚い。
ゲーム、送金、投資、DeFi、ステーブルコインへの心理的な距離も近い。
だから暗号資産は広がった。
だが、その取引の多くが海外取引所に流れている。バイナンス、OKX、バイビットなどを通じた取引では、手数料もデータも税収も海外に出る。本人確認やマネーロンダリング対策も、ベトナム政府の管理下に置きにくい。
ここで政府は方針を変えた。
暗号資産を全面的に潰すのではない。
国内に囲い込む。
監視できる場所に移す。
税金を取れる形にする。
海外取引所に流れていた巨大市場を、自国の金融システムに戻す。
つまり、ベトナム政府が始めようとしているのは、暗号資産の完全自由化ではない。
国家管理型の暗号資産市場づくりだ。
ベトナムではこれまで、暗号資産は法定通貨として認められていなかった。決済手段として使うことも制限されてきた。一方で、個人の保有や取引は、明確に全面禁止されてきたわけではない。
このあいまいな状態のなかで、個人投資家は海外取引所に流れた。
政府から見れば、これは危うい。
ベトナムは資本移動を厳しく管理する国だ。国外送金や外貨管理には神経をとがらせる。個人マネーは不動産、金、暗号資産に向かいやすい。ロイターは、ベトナム国内の金価格が国際価格を約1割上回ることもあると指摘している。
つまり、国民の投資熱は強い。
だが、政府が管理できる受け皿が足りない。
そこで、国内公認取引所だ。
国内取引所なら、本人確認を義務づけられる。取引記録も追える。税金も取りやすい。マネーロンダリング対策も打てる。海外に抜けていた手数料も国内に残る。
ベトナム・ブロックチェーン・デジタル資産協会のファン・ドゥック・チュン会長は、国内取引所が成功すれば、取引手数料を国内にとどめ、デジタル金融サービス産業の発展につながるとの見方を示している。
ただし、問題は多い。
まず制度がまだ固まりきっていない。監督、税制、リスク管理、投資家保護をどう設計するのか。海外取引所を本当に締め出せるのか。VPNやピアツーピア取引をどう扱うのか。ステーブルコインをどう規制するのか。
さらに、誰にライセンスを与えるかも重要だ。
銀行系に与えれば、保守的で管理しやすい。
証券会社に与えれば、金融商品として整理しやすい。
財閥に与えれば、資金力と政治力はある。
だが、暗号資産ネイティブの技術力を持つかは別問題だ。
暗号資産取引所は、普通の証券会社とは違う。カストディ、ウォレット、ハッキング対策、オンチェーン監視、ステーブルコインの流動性、マーケットメイク、トラベルルール対応がいる。看板だけ銀行でも、中身が弱ければ投資家は使わない。
ここが勝負になる。
ベトナム政府にとっては、海外取引所の利用を止めるだけでは足りない。国内取引所に十分な銘柄、流動性、使いやすさを用意しなければ、利用者は抜け道を探す。
暗号資産ユーザーは、動きが速い。
不便ならすぐ海外に戻る。
規制が重すぎれば、ピアツーピアに逃げる。
魅力がなければ、国内取引所は形だけになる。
だから、今回の政策は難しい。
自由にしすぎれば資本流出が怖い。
締めすぎれば市場が育たない。
海外取引所を止めたいが、利用者の利便性も必要だ。
税金は取りたいが、過度な課税なら地下化する。
ベトナム政府は、この細い道を通ろうとしている。
日本企業にとっても、これは他人事ではない。
ベトナムには、スマホ決済やオンライン金融に慣れた若い利用者層がいる。暗号資産への抵抗も比較的小さい。ゲーム、送金、投資、DeFi、NFT、ステーブルコインの利用者も厚い。
だが今後は、「海外取引所で勝手に展開する」だけでは通用しにくくなる。現地ライセンス、現地銀行、現地証券、政府との関係が重要になる。
特にチャンスがあるのは、ステーブルコイン企業、カストディ企業、取引所、マーケットメイカー、ブロックチェーン分析会社だ。ベトナム政府が求めているのは、単なる投機市場ではない。監視でき、課税でき、管理できるデジタル資産市場だ。
ここに入れる企業は強い。
一方で、自由な暗号資産市場を期待する人には、窮屈な未来になる。海外取引所の利用制限が本格化すれば、ベトナム人投資家は国内認可取引所に誘導される。取扱銘柄、本人確認、入出金、税務報告は厳しくなる可能性が高い。
それでも政府から見れば合理的だ。
約31兆9400億円規模の取引が国外プラットフォームを通っているなら、それを放置する方がおかしい。市場をつぶすのではなく、国内に取り込む。ベトナムはその方向に舵を切った。
暗号資産を野放しにする時代は終わる。
だが、禁止一辺倒でもない。
ベトナムが始めようとしているのは、国家管理型の暗号資産市場だ。
海外取引所で自由に売買してきた個人投資家にとっては、窮屈な時代になる。
一方で、政府公認の市場に入れる銀行、証券会社、財閥にとっては、巨大な利権の始まりだ。
ベトナム政府は、暗号資産を追い出そうとしているのではない。
自分たちの管理できる市場に取り込もうとしている。
ベトナムの暗号資産市場は、野生の市場から、国家公認の市場へ移ろうとしている。

